Labyrinthos

カミングアウト

実は今年に入って松がとれてから、少し真面目にダイエットしています。3年数ヶ月前に禁煙して以来、ストレスか吸収が良くなったのか代謝が落ちたのか単に飲み食いが増えたのかハタマタ合せ技か、巨大化を続けた自分は、この背丈になってからの最大値を更新してしまったのでした。もちろん100kg超えね(泣)。

中略w

で、始めました。方法は…

・1日摂取1600kcal程度(上下はありますよ)
・高たんぱく(低体温気味だったのを治す意味も)
・低脂肪
・繊維質をたくさん摂る(白米でなく玄米とか黒米混じりとか…)
・ゆっくりよく噛んで食べる(必然的にこうなる)
・基本的に酒はのまない

…もちろん「まちがい日」とか「おおまちがい日」とかもあるだろうし(まだないけど)「ストイック」というような身にふさわしくない感じにはならないように(大丈夫だと思うよw)行おうと思っています。

で、体重計も新規購入。体重・体脂肪率・内臓脂肪・骨量・基礎代謝・筋肉重量などがわかるらしい。これに朝晩乗って量って記録。例の有名になった「レコーディングダイエット」(旧・死なないぞダイエット)用のエクセルのテンプレートとかが存在するのです。入力するだけで何種類かのグラフが見えるようにマクロが組んである。

今のところ順調に右肩下がりで来ています。といってもまだまだ人並み以上にあるけどね(泣)

食べるものを減らす・食べ物の質を変える・酒を減らす…そのこと自体にストレスは勿論あるのだけれど、逆に気持ちが冴えたりもしますし、よく眠れるし。それから、なんといっても

禁煙よりラク。

ダイエットによる体型変化と奏法の変化については、これからおいおい研究していきましょう…て、ウソですがw。

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ジャンヌ・ダルク

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会社の特別演奏会、A.オネゲル作曲 劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」が終わった。演奏会前に音源を2種類聴き仕事に臨んだこと(つまり、ひとつ聴いてからもう一種類聴きたいと思ったということ)は自分にとって非常に珍しいことだった。さらに興味を持って本を読んだ。時間が無かったので読み方が斜めだったのが今となっては残念ではあるけれど(楽譜の初見と同様に、最初に読む一回は一生に一度の一回だったのに)。

そのオネゲルの自著「わたしは作曲家である」の中で印象に残った箇所がある。自画像を描いてもらっているオネゲルに、デザンクロがピアノでメシアンの曲を弾いて聴かせている、というシーン。(いま手元に本が無いので細部はあやしいのだけれど)演奏者のルバートや揺らぎを含めたような、「全てを」書き表わしているような楽譜についてオネゲルが疑問視しているところで、非常にピンときてしまった。今回の指揮者沼尻竜典氏を思い出したから。決して脳内作為はなく。

音楽に関わる手段(私の場合はコントラバスなどの楽器)が洗練されればされるほど、その手段が何であれ、それらは次第に相対化され、その目的である音楽そのものが、いわば上澄みのようにその質と量を増してくる(はず…希望的には)。作曲家の場合の手段、つまり音楽作品自体にそのまま当てはめるのは無理というものだけれど、今回の「ジャンヌ」に関しては、頷けると感じていた。全く複雑ではない拍子(ほとんどの分母は4だった)で書かれており、その楽譜は非常に整理されたたたずまいを見せている。もちろん使われている和声やオーケストレーションはある程度複雑であり、再現には一定以上の理解と詰めた作業が必要ではあるが、例えばアーティキュレーションやスラー・装飾音符の扱いなどが書式的にもたいへんオーソドックスであることや加えて楽譜にあらわれるダイナミックスなどの不統一や省略なども古典やロマン派をほうふつとさせ、「演奏するためのガイドとしては有難いけれど何だかとっても支配的に感じる」「音符の数より注釈のほうが多いかもしれない」どこかの近代の曲とは全く違う、非常に好ましいものであった。

そんな曲を沼尻氏は、気をてらわない・自己やもちろん自我のためなどでないと直感的に周囲に感じさせる、つまり音楽に奉仕する棒で、あらゆる音符から音を「起こして」いった。もしかしたら作曲者と同じくらい…間違いなく作曲者の次に…「聞こえている」であろう彼の、演者・演奏者へのインフォメーションは、限られた時間の中で、彼の高い能力と集中力はもちろん、巨匠ぶらない・フレンドリーな・むしろ「愛らしい」とさえ言えるキャラクターから発せられるユーモアに満ちた・しかし的確な言葉やしぐさによって、極めて高い浸透圧で我々に伝わってくる。そして何よりも演奏しているときの彼から感じるのは、棒のテクニックなど仕事としての指揮者の存在ではなく、洗練されていればいるほどクローズアップされてくる例の「上澄み」…音楽そのものであって、そのことはオーケストラプレイヤーとして、自分も能動的に且つ高い彼のクウォリティに含まれて音楽へ直接奉仕できる極めて喜ばしい機会を与えられたことを意味する。

ある意味シンプルであって、大時代的ではない。必要以上に構えない、とらわれてはいけないもの(こと)にとらわれない。そして、良いセンスによって、普遍性を獲得していく。普遍へと近づく。

オネゲルがこの曲を書くに当たって苦吟したのかどうかは知らないが、題材として歴史的・宗教的そして人間のドラマを強く持った「ジャンヌ・ダルク」を得たときに、非人間的に巨大で難解な作品に書かなかったことと、それを読み解く力を持った指揮者のもとで演奏できたことに、感謝したい。

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